副代表鈴木大裕のインタビュー記事が集英社新書プラスに掲載中です。

SOMA副代表鈴木大裕のインタビュー記事が集英社新書プラスに掲載中です。

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鈴木の現在に至るまでの道程、

そして今土佐町で何を考え、何をなすべきと考えているか。

 

いつも通りの鈴木節で、「教育と幸せ」について語ります。

想いのたくさん詰まった記事です、是非ご一読くださいませ。

 

集英社新書プラス-プラスインタビュー-

高知県の限界集落で考える「教育と幸せ」【前編】

高知県の限界集落で考える「教育と幸せ」【後編】

『ソトコト』4月号にSOMAの活動が取り上げられました!

本日3月5日発売の『ソトコト』4月号でSOMAの活動について取り上げていただきました。

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見開き3面に渡って、SOMAと代表瀬戸、副代表の大辻、鈴木の熱い想いがたくさん詰まった記事になっております。

書店で見かけた際には是非お手にとってみてください!

▽ソトコト4月号の詳細は以下より

あこで笑いました(記:インターンのこなつです)

こんばんは。こなつです。

 

今週月曜日から、町の学舎あこ にて、場づくりやイベント運営を学ばせて頂いており、本日は、インターンシップ最終日でした。

▼最終日の本日は、あこ開所前の時間に、インターンシップの一環で、下記のイベントを開催させて頂きました。

老いも若きも笑いヨガ×絵本セラピー

~自分育て中・子育て中・孫育て中のあなたへ

https://wa-laugh.com/2018/02/26/20180302_ako_warai-ehon/

 

今回は、年配の方が多数ご参加くださいました。

あこの建物の前身は、農産物の直売所です。

「あこに改装してから来たのは初めて」とおっしゃる方もチラホラ。

ある女性が、「携帯電話のことでわからんで困っちゅうがやけど、聞きに来てもかまんが?」と。

事務局長の岡田さんが「もちろんです!」と笑顔で返答すると、安心されたご様子でした。

 

さて、イベントの様子です。

まずは 絵本セラピストまりろさんから

一緒に体を動かすことができる絵本を。

そして、春をテーマにした絵本で和やかな雰囲気に。

土佐弁版花咲かじいさんでは、特に会場が湧きました。

 

そして笑いヨガです。

まずは手拍子から。徐々におなかから笑える体制を整えていきます。

総勢 約25名が一度に息を合わせて笑うと、

最初は体操として笑っていたのに、あら不思議。

本当の笑いに変わっちゃいます。

こちらは、普段の生活でも実践できる笑いの紹介

携帯電話笑いです(笑)

笑いの動作で深呼吸もしました。

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はいっ

吸ってー

吸ってー

止めて

止めて・・・

誰かがププッと吹き出すと一気に

あはははははは!!

みなさんいいお顔です。

心も身体もポカポカあたたまりました。

ありがとうございました。

 

 

▼今日のあこ

13:00に開所してすぐ、数名の社会人の方が来られ、しばらくお仕事集中タイムが続きます。

夕方になると、学校帰りに宿題を持ってくる小学生や、中学生がやってきました。

今週は連日、試験を控えた中学生の熱気がすごかったですが、

中学生の試験も終わり、今日は少しゆったりモードのあこでした。

 

SOMAメンバーへの質問タイムも。

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▼今回のインターンシップを通して

4日間、高知市から片道1時間かけて土佐町に通いましたが、移動距離が苦じゃないくらい、あこ に通うのはワクワクしました。

大人も子どもも、適度な距離感で同じ場にいることができて、何だかほっこりします。子どもだけでなく、大人にとっても「サードプレイス」でした。

今回学ばせて頂いたことを活かし、笑いのチカラで素敵な場づくりをしてまいります。

土佐町のみなさんは温かかったです。

本当にありがとうございました。

また帰ってまいります。

 

(文 こなつ

中学生の試験前のあこレポート(記:インターンのこなつです)

はじめまして。こなつと申します。

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今週3月2日まで、インターンとして、町の学舎 あこで、場づくりやイベント運営を学ばせて頂いております。

昨日は、インターン2日目でした。

前半は、昨日の あこの様子をお届けします。

後半は、自己紹介およびイベントのお知らせをさせて頂きます♪

昨日のあこ

今週は、試験を控えた中学生が多く集まるあこ。

15時を過ぎると、小学生から試験前の中学生、社会人のみなさんが続々とやってきました。

SOMAのメンバーに質問をしたり

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友達同士で教えあったり

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壁際で集中したり

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17時になると、近所のお店の方が、利用者のために できたての おにぎりを届けてくださいます。

1個100円の良心市システムです。

食べ盛りの学生さんも、勉強に集中できますね。

あこは「町の自習室」ですが、小中高生のみならず、打ち合わせに来られる社会人の方、お仕事帰りにミーティングをされる地域のみなさん、携帯電話機の操作方法を聞きに来られる年配の方など、利用者は様々です。

広い共用リビングという雰囲気で、まさにサードプレイスです。

子どもから大人まで、熱い学びの場となっていました。

▼インターンのこなつです

申し遅れました。

わたくし、ラフターヨガ(笑いヨガ)講師/社会人落語家の 花の家こなつ(大野沙耶花)と申します。高知市内を中心に活動しております。

「笑いのチカラで こころも からだも 元気に。そして人と人とをつなげる」をモットーに活動中です。

関西大学の落語研究部で活動中に、身一つで笑って元気になってもらえる落語の魅力に気付いて以来、「笑いの力で人を元気に」をモットーに、高知県内各地で落語を披露してまいりました。さらに大学卒業後、エクササイズとして笑うことができ、心も体も元気になれる笑いヨガの魅力を知り、2014年に資格を取得。落語とあわせて活動中です。

▼インターン2日目を終えて

今回の「あこ」でのインターンの目的は、場づくりやイベント運営を学ばせて頂くことですが、その他にも、普段接する機会のない中学生とお話できたり、嬉しい刺激をたくさん頂いています。

2日目を終えて感じたことは、地域の子どもたちにとって、学校や家庭以外のサードプレイスがあることがとても素敵だなということです。

私事ですが、私は高校生のときまで、自分には何の取り柄もないと思っていたし、夢も目標もなく、将来が不安で焦っていました。

そんな焦りから、大学に入学してからは、積極的に学内外の人と交流したり、イベントを企画してみたり、学内のクラブ等に複数所属したり、、母校のよさこいチームの運営スタッフになったり、とにかくガムシャラに行動していました。

そうすることで、多様な価値観に触れたり、世の中色んな人がいて色んな生き方があるんだと知ることができました。

そして、落語を人前で初めて披露したときに、身ひとつで大勢の人を笑顔にできたことが、この上なく嬉しかったですし、「久々に笑って元気になったよ。ありがとう」と言って頂いたとき、「私でも人の役に立つことができるんだ」と、自信をもつことができました。

話がまとまりませんが、何を言いたいかといいますと、高校生までにもっと色んな大人と出会いたかったし、色んな価値観や生き方に触れたかった。

だから、「あこ」ではそんな機会を子どもたちに提供しているから、素晴らしいと思いました。

▼3月2日(金)に あこ でイベントをします

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インターンの一環で、下記のイベントをさせて頂くこととなりました。

お子様連れでも、大人の方だけでも、お気軽にお越しくださいませ♪

「老いも若きも笑いヨガ×絵本セラピー~自分育て中・子育て中・孫育て中のあなたへ」

・日時:3月2日(金)10:00~11:30

・場所:あこ(高知県土佐郡土佐町田井1485)

・対象:大人だけでも、お子様連れでもOKです

・参加費:無料

・持ち物:動きやすい服装、ヨガマットもしくはバスタオル、水分補給の飲み物、汗ふきタオル、抱っこひもなど(スカートでもOK!ヨガのポーズは行いません。)

・申込方法:件名を「3月2日参加・《お名前》」にして下記までメールにてお申し込みください。

  konatsu@wa-laugh.com

 ※お子様連れの方は、お子様の年齢・月齢をお知らせください。

詳しくはコチラ

・ホームページ

 https://wa-laugh.com/2018/02/26/20180302_ako_warai-ehon/

・Facebookイベントページ

 https://www.facebook.com/events/2120701264827730/

「街づくりはどこへゆく? -108の絶望と1の希望」開催

「吾々にとって幸福な事か不幸なことか知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思想の唯一の武器は、依然として昔乍ら(ながら)の魔術を止めない。劣悪を指嗾(しそう)しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心幻惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。」

小林秀雄『様々なる意匠』

 

2月23日は、「街づくりはどこへゆく? -108の絶望と1の希望」と題し、

葉っぱビジネス等で知られる徳島県は上勝町の活性化などに取り組まれている大西正泰さんによる講演を開催しました。

 

今回は、東京にいらした大西さんからの遠隔受信。

島根県海士町、沖縄の久米島、そして土佐町“あこ”と、全三拠点を結び、皆で地方をとりまくさまざまな「問題」について考えました。

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冒頭、大西さんからこういう指摘がなされます。

「“街づくりとは何か”という定義の明確になされぬままに、各地で漠然とそうした取組が行われているのではあるまいか」と。

上勝の葉っぱビジネス然り、或いはトヨタのような大企業を中心とした“街づくり”等々、

地方創生が金科玉条の如く取り上げられる今にあって、そうした状況下を取り巻くあらゆる言葉の不鮮明であるがゆえ、またそこに攪乱(こうらん)が生まれるのではないかと大西さんは説きます。

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そこで例に取り上げられたのが“ハイジ”の世界

峻嶺なアルプスに囲まれた僅少な集落に生きる“ハイジ”の姿を見ても、

我々は誰ひとり“過疎”や、“地方消滅”なぞという言葉は空想しますまい。

 

我が国が戦後目指した「健康で文化的な最低限度の生活」という、それ自体が窮余の一策でしかなかった政治的レトリックが、我々の眼前にあらゆる問題めいたものを提出し、その影に隠れた、我々にとってより本質的な問いを封殺する事になっているのではあるまいか。

 

政治(政策)とは、殊現代においては、我々の近代合理精神の賜物に他なりません。

政治というものの手付きは、全てを物質的なものとして扱おうとするでしょう。しかし、無論扱うものが「物質」でなく、「物質的なもの」である以上、其処にはある種の観念の登場を待たねばなりませぬ。そこで「外部の生活標準」なぞという窮余の一策を発明してはみるが、そういう複雑極まるものをいつまでも相手にしきれる筈もありますまい。それはいずれ、“最小不幸”なる、我々の実感を無視した曖昧な言葉で語られるだけでありましょう。

 

政治は依然物質的なものの調整という機能にとどまることでしょう。我々が本当に危惧すべきは、過疎や、人口減少という曖昧極まる言葉の方ではない。我々の実際上の生活が示唆する感慨であり、経験の方であります。

例えば柳田國男は、その時代にあって深刻であった離村の問題について、こういう言葉を使って語っています。事の本質は“雅俗都鄙”(という価値観)にあると。

雅俗都鄙(がぞくとひ)とは、華やかな都をそれ以外との対比において賛美するという事。

しかし、柳田はそれ自体を批難しているわけではないのです。

「日本人は常に学問文章その他いっさいの技芸のことごとくを中央に集合しようとする傾向がある。極端な文化中心主義の国と言えるのである。それは都会人ばかりでなく、地方人が全く盲目的に町場を尊敬しすぎたからである 。」

ただ注意せねばならぬのは、柳田はこれを「我々にとって一種の性癖のようなものである」と説くばかりだという事です。

これは実際上の、或いは私自身の感慨であると。

 

ゆえに、ここで我々が考えねばならぬのは、政治の方を云々することでは勿論ありますまい。我々が我々自身の言葉で、我々の今現在を語るという事、そして、その感慨を、経験を、各々の最大幸福を実現するためにデザインする事でしょう。

 

 

大西さんは終始、現在の“地方”というものを取り巻くあらゆる価値観について問いを投げかけられました。

「現代資本主義の疲弊に鑑みれば、共有や贈与を前提とする“いなか”の暮らしこそ最先端と呼ばるべきではあるまいか。」と。

 

 

「春風やはたけみたがる京の人」

移住なぞという言葉は必要ないのでしょう。

“帰去来の感“は未だ死してはおりませぬ。

 

 

人間の生活というものが、己の天禀(てんりん)に生きるという事を言うならば、その生活を防禦(ぼうぎょ)するものは、鄙(=いなか)の力であり、都の魔術ではない。

 

「これ、サンチョ、よく承れ、成る程、お前の言う事は尤もだ。だが、魔術の種類は沢山ある。時代の移るにつれて、魔術も段々変って行く。昔はそうではなかろうが、今時の魔術にかかる人は、拙者のする様な事を、残らずするかもしれぬという事も、ありそうな事だ。理窟や当推量は止めて置け。拙者は魔法にかかっている。そうと知り、そうと感じていればこそ、拙者の本心は安まっているのだ。」

(ドン・キホーテ)

魔術を魔術と知って踊るのならば、その胸中は偉大なラ・マンチャの騎士のそれにも似ていよう。だが、そうと知らずにいたならば、それは傀儡(かいらい)の演ずる喜劇に過ぎまい。

 

自らの手足で踊ることだ。いずれ我々は風車に飛び込む事になるやも知れぬ。それでも我々は胸を張ってこう言う事はできるだろう。

「噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!」と。

 

(文 岡田光輝)

 

廣瀬教授座談会によせて『“問い”について』

「私がここで、特に言いたい事は、科學とは極めて嚴格に構成された學問であり、假説と檢證との間を非常な忍耐力をもつて、往つたり来たりする勤労であつて、今日の文化人が何かにつけて口にしたがる科學的物の見方とか考え方とかいうものとは關係がないという事です。そんなものは單なる言葉に過ぎませぬ。實際には、様々な種類の科學があり、見る對象に従い、見る人の氣質に従い、異なった様々な見方があるだけです。對象も持たず氣質も持たぬ精神は、科學的見方という様な漠然たる觀念を振り廻すよりほかに能がない。心理的現實だとか、歴史的現實だとか、何んだとか彼んだとかいう現実の合理的模像が、彼を閉じ込めている。出口が見付からぬのも一向に氣にかからぬのは、模像があんまりよく出来ているからだ。」

小林秀雄『私の人生觀』

 

2月22日、金沢大学の廣瀬幸雄先生をお招きし、座談会を開催しました。

廣瀬先生は、『ハトに嫌われた銅像』の研究で「人々を笑わせ、考えさせてくれる研究」に与えられるイグノーベル賞を受賞された方です。

また、科学者であることはさることながら、日本コーヒー文化学会副会長、発明家と様々な顔をお持ちで、「なんでだろう博士」とも呼ばれています。

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今回のテーマは、「学び」と「ムダ」

“なんでだろう”という問いをとことんまでつきつめ、自らのキャリアを形作ってこられた廣瀬先生。そんな廣瀬先生の原点には、こんな少年時代の記憶があります。

 

「蛇」「蛙」「蛞蝓(ナメクジ)」

この三すくみの関係(それぞれがそれぞれに対して強弱の関係を持つ故に三者とも身動きが取れなくなる事)について、父から教わった少年時代の廣瀬先生。その時お父さんは、実際にこんな実験を見せてくれたそうです。

「(父は)ナメクジが通った跡をヘビに通らせました。するとヘビは近くの木にぶら下がり動かない。次の日に見てみるとヘビはカラだけになって死んでいた」

 

それから2,3年経って、廣瀬先生は酸とアルカリの関係について学校で習います。

そう、ナメクジは強アルカリ性、ヘビは強酸性。ヘビは火傷をおこして死んだのでした。

「なぜか」と問う事、そしてそれが“わかる”という事。

こういう経験こそが廣瀬少年の心にまさに“火をつけた”のでありました。

 

 

廣瀬先生は、ご自身の性格を“しつこい”と評されます。

またこうもおっしゃいました。“ムダ”なぞということはないと。

 

 

誰しも心に火のつくような経験や瞬間はある筈です。

 

「これが何に結びつくのだろうか。」

「こんな事をしたところで無駄ではあるまいか。」

 

そういう類の問いは、我々が自らの生活に対して合理的に処していく上では肝要でありましょう。

だが合理的に処するという事と、人間が生きるという事とは、

それがのっぴきならない関係にあるとは言え、

決して折り合うような代物ではありますまい。

 

本来我々が今生きている世界には、「なんでだろう」と我々がひとりごちざるを得ぬ問いにあふれている筈です。そういう意味で、現代人ほどの軽信家は無いのです。前代の盲信家なぞ笑えぬほどに。

 

小林はこう述べています。

「対象も持たず気質も持たぬ精神は、科学的見方という様な漠然たる観念を振り廻すよりほかに能がない。心理的現実だとか、歴史的現実だとか、何んだとか彼んだとかいう現実の合理的模像が、彼を閉じ込めている。出口が見付からぬのも一向に気にかからぬのは、模像があんまりよく出来ているからだ。(中略)理性の映し出したものを誰も疑いはしない。それは真理である。併し、人生が人生である所以のものは、真理も亦虚偽と同じく厄介千万なものであるというところにあります。既知の真理が未来の事物を追い払ってしまった世界で、知識人達は、ただ推論だけしか出来ないという状態にある…….」

我々は、我々自身の経験に問わねばならぬのです。現実の生活というものを生きるにあたっては、既知の真理なぞ何物にもなりますまい。

 

 

「まーた私は、余計な事ばっかりしゃべっとる」

 

廣瀬先生は、座談会の最後に“知識”と“知恵”についてお話になられました。

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“知識”とは、ただ“書物に傍点を付す”ということに過ぎまい。

だが他方、“知恵”とは、それに“経験を混じえて物語る”という事である。

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「かかる話を聞きかかる処を見てきてのちこれを人に語りたがらざる者果たしてありや。」

柳田國男『遠野物語』より

 

成る程、廣瀬先生の人生観は正しくそういうところにあるのでしょう。

「なぜ」と問う事。

そして、その感動を如何に物語るかという事。

それが廣瀬先生にとっては、研究であり、発明なのでありましょう。

 

さて、我々もまた問い続けなければなるまい、そして物語らねばなるまい。

決して折り合わぬ戦いを演じ、生きてゆくために。

 

(文 岡田光輝)

インターンの川村です!

こんにちは!!

 

この度、町の自習室「あこ」でインターンをすることになりました、川村洸士郎です。

よろしくお願いします!(‘◇’)ゞ

実はまだ18歳、春からは高知大学に進学予定の若々しい高校3年生でございます。小学校は土佐町小学校、中学校は土佐町中学校で過ごした根っからの土佐町ボーイです。趣味は人と話すこと、おいしいものを食べること、音楽を聴くことです。何かに熱中したらがっつりハマってしまう性格です。

僕が今回インターンをすることになった経緯、深く掘り下げていくと、だいぶ遡ります(笑)

僕は小さいころから好奇心旺盛でした。小さいころから気になるものにはすぐに飛びつきのめりこんでいました。ひたすら自分が面白いと思うものを追い求め

おそらくそんな僕だからこそずっと同じ地域で過ごすことに飽きてしまい、嫌になった中学三年の春、市内への進学を決めました。沢山の人に会ってみたいと思い、進学した高知西高校。人生で初めてクラス替えを経験しました。親元から離れて暮らしたいと思い、下宿しながら過ごした高知市。全てが刺激的でした。一人で沢山の場所に行き、沢山の経験をしました。

しかし高校三年生になり進路に向けて動く時期を迎え、同時にたくさんあった刺激も少なりつつありました。そんな時Facebookを眺めていると

「土佐町、めっちゃ面白くなってるやん・・・!」

SOMA のメンバーやそこに集まる人々を中心に展開されている地域活性化にワクワクしました。いったい何がここで起きているのか、そして住民の方々はどんな影響を受け、どう変化しているのか気になりました。幸いにも大学も10月に決まっており、時間に余裕がある状況です。そんな時代表の瀬戸さんからお誘いがありました。

もう、これはインターンするしかないですよね。(笑)

一回土佐町から離れたからこそわかる今の土佐町の良い雰囲気、その基盤となっているSOMAでその雰囲気の素を掴みたいという想いでインターンを決めました。

石原で生まれ、石原で育ち、高校は市内に進みましたが本籍はしっかりと土佐町にあります。なのであこに集う学生に対して、近い距離間で進路の悩みや、市内進学について答えることができます。また保護者に対しても市内での学校や普段の生活についての情報等お話しできます。

シフトとしては2/5.6.7.22.23.24  3/3.4.5.6という予定になっております。ぜひお越しください。ピンポイントで短い間ですがよろしくお願いします!!

 

さてさて、僕の初出勤は実は1/31の新田理恵さんの座談会の日でした。

座談会のアシスタントではなかったんですが、その裏で別の事業であるアプリ開発講座の遠隔配信の担当でした。

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自分たちの頭の中にあるアイデアを何とか形にしようとするその熱量、伝わってきました。嶺北地域から次世代のプログラマーが生まれることを楽しみにしています!!

 

 

新田理恵さん座談会“考える食卓”開催

先日1月31日は、新田理恵さんによる座談会

「考える食卓〜伝統茶から考えるあなたの毎日の“たべる”〜」

を開催しました。

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新田さんは、伝統茶を販売する{tabel}(タベル)の代表で、

食卓研究家としてご活躍の方です。

 

日本の在来植物・薬草を暮らしに取り入れていく事をミッションに活動されている新田さん。

曰く、生物には体の必要とするものを欲する機能があるのだそうです。

 

座談会のはじめ、

参加いただいたみなさんに、

目を瞑って、自身の身体の声に耳を傾けていただく時間がありました。

 

今、自らのなかで何が起こっているのか、

それを問う事から全てがはじまるというのは、

何を考えるにおいても、緊要なことでありましょう。

 

新田さんは、ご両親がパン屋を営むなど、生まれついて“食”との関わりが強かったそう。

そこから、ご自身の健康や、それにあった食を選択することなどを通じて、

生産者とのつながりや、その“食”の由来、歴史などについて、

次々と見識を広めていらっしゃいます。

 

まさしく、そのキャリアは、“食”という一つのテーマを延長し、そのひろがりを、縁を深めていく中で、構築していったものと言えましょう。

 

好きこそものの上手なれとはよく言ったものですが、

一つの物事を延長していく、そしてその縁を最後まで辿っていくという努力こそが、

新田さんの現在を彩っています。

 

 

新田さんのお話の中で印象的だったのは、

西洋的(科学的)なものと、東洋的(伝統的)なものとの関わり方。

 

伝統的な健康や、医療に対する考え方は、

対象を特定し、それを取り除き、かつその手法を万人に用いるという、

科学的なそれとは大きく考え方を異にするものです。

 

個人の体質や、体調に合わせ、一人の人間を全体として診る(観る)、

そういう視点の大切さが、現在世界的に見直されつつあります。

 

ただ新田さん曰く、そのどちらかのみを用いるのではなく、

それらを複合的に用いてくことが大事とのこと。

 

食や健康についての考え方のなかには、大きく偏ったものがあるのもまた事実です。

そうではなく、本当の意味で自らが、自らの身体の声を聞き、対話すること、

それを通じてなにを選択すべきかを考えること、

それはまた、食や健康を通じて、自らの生活や、人生と対話することにもつながっていく筈です。

 

さて、くだくだしく述べてきましたが、今回の座談会で感じていただきたかったのは、

“いいものはいいということ”

そして、

食するという経験が生む“つながり”についてです。

 

今回、座談会の途中で試飲会を行いました。

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おとなり、cuddle cafeの協力もあり、新田さんの販売されている伝統茶と、それに合うスイーツをみなさまにご賞味いただきました。

爽やかなお茶の香りと、スイーツの甘い香りに包まれた“あこ”

その場にあったひとすべての顔がほころび、あたたかな雰囲気で満たされておりました。

 

今回は、いしはらの里と島根県海士町へも遠隔配信を実施しましたが(ご協力いただきましたみなさまありがとうございました。)、そこにいらしたみなさまにも、同様の体験をしていただけた事は、ネットワークがつむぐ距離感以上に、この“あこ”という場を身近に感じていただく機会にもなったのではと思います。

 

“食を考える事”は自らを考える事であるのはもちろん、

生産者や、その食卓をともにする人など、

それを通じて関係を取り結ぶあらゆるモノと、コトと、

つながり、対話し、かつ考えるという事なのではないでしょうか。

 

(文 岡田光輝)

 

 

新春落語会“落語の夕べ”開催

先日1月18日は、“落語の夕べ”と題し、あこにて落語会を開催しました。

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普段の座談会とは、少し毛色の違うイベントをということで企画した今回の落語会は、

アマチュア落語家としてご活躍の福々亭熊助さんと、茶伊さんをお招きし、開催しました。

 

熊助さんは、初の女性真打である古今亭菊千代師匠に落語を学び、現在は各地でボランティアで落語会を催されるなどご活躍の方です。

普段は東映のアニメーターをされていることもあり、そのキャリアにも注目したいところですが、

 

今回は何よりも落語会!

幅広い世代の方にお集まりいただき、存分に笑っていただきました!!

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開口一番は熊助さんによる「強情灸」

江戸っ子は熱い湯を好む、音を上げぬ強情さ。

「俺は熱くねぇが、(石川)五右衛門はさぞ熱かったろう」

このサゲは秀逸です。

 

続いて茶伊さんによる「動物園」

明治40年作ながら、最早新作とはいい難い名作です。

場内もますます笑いに包まれます。

 

最後は再び熊助さんによる、

『妾馬(八五郎出世)』

町人の八五郎は、娘のツルをさるお殿様の妾にやっている。そんなツルに“お世取り“ができたという話しを聞かされた八五郎だが、この男は「およとり」を「鳥」の一種かなにかだと勘違いするような粗忽者。そんな八五郎は、お殿様の屋敷に呼ばれ歓待を受けるが、どうにも振る舞い方がわからぬから

「えー、おわたくしはお八五郎さまで、
このたびはお妹のアマっちょが
餓鬼をひりだしたてまつりまして」

なんぞと話し始める始末。だが、そんな八五郎を殿様も面白がって「朋友に申すごとく遠慮のう申せ」と無礼講を許す。そんな八五郎は気に入られ、殿様に召し抱えられ大出世を遂げるというのがこの噺の流れ。

全体を通してユーモラスな噺でありながら、八五郎が殿様に「ツルをよろしく」と頼む場面では、八五郎の粗い言葉の中から娘への深い愛が垣間見え、いかにもほろりとさせられます。

 

そんな笑いあり、感動ありの噺を熊助さんの大熱演で、しかもここ土佐町“あこ”で見ることができるとは、落語好きも、落語を初めて見る方にも存分にお楽しみいただけたのではないでしょうか。

 

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さて、少々野暮かもしれませんが、せっかくなので落語のひとつの見方について書いておきます。

落語の成り立ちは諸説ありますが、お寺での説教話がその原型のひとつになったとされています。

それ故、ひとつひとつの噺の中に、教訓めいたものや、人としてのあるべき立ち居振る舞いを学ぶという機能があったと言われます。

これを享受した当時の町人らは、“どういう人物が一人前とされるか”、“人情とは何か”をそこから学んできました。

桂米朝は『落語と私』の中で、落語は一種の社会学と題してこういう事を言っています。

「人との応対や、折り目切り目の挨拶の仕方、使う立場と使われる立場。
昔は学校教育、家庭教育の不十分な環境が少なくなかったが、それらの人々でも落語で社交のいろはをさとり、敬語の使い方を知ったと言っても過言ではない。」

 

兎も角、落語はそういう意味で、当時の人々の感じ、考えていたある種の典型、或いは理想があったと見てよいでしょう。各々の生活経験に裏付けられた、実感のこもった理想。それが落語の世界の住人たちにはありありとみてとれるのです。

妾馬の八五郎は、精錬された振る舞いはできぬかもしれない。だが、人のこころというものは十分にわかっている。そういういかにも人間くさい人物です。またこのお殿様も、八五郎の無礼なぞ気にも留めず、八五郎という人間のこころを直截に受け取っている、情に溢れた人物です。

 

米朝はまたこうも述べています。

「現在では落語の世界とそれぞれの人の生活環境にズレが出来過ぎました。無論、人間の心理の根本というものはそう変わりません。」

わたしたちは噺の中で、落語の世界の愛すべき住人たちに出会った時、或いは微笑し、或いは一緒になって涙を流すでしょう。そこには、わたしたち人間の変わらぬ部分、謂わばその心理の根本とも呼ぶべきものがあるのではないでしょうか。

なにも言辞を弄するつもりはありませぬ。わたしたちが、あるひとりの人間に触れるとき、そこに生まれるものは、はてなんだろうか。それを直截に受け取る事、その処し方を、落語は語っているのです。

 

最後にサゲの代わりにこんな話を。

古今亭志ん生が『らくだ』のマクラで、「昔はもっとのんびりしていたもんですな」と語っていた事がある。大正から昭和の初期にかけての時期の発言と推察されるが、明治後期生まれの志ん生にとって、その時分を、慌ただしく、目まぐるしく感じていたというのは興味深い。酒を飲んで高座に上がり、天衣無縫、融通無碍と称された“粋人”古今亭志ん生は、自身が落語界の住人のような人物だったのだが、はて、志ん生のような人物は現代において新たに生まれ得るだろうか。

粋で、自由で、ゆとりある、そういう人間たちによって編まれた落語という文化は、物や、事や、人と、じっくり時間をかけて、丁寧に付き合って、「観」たところに生まれたものに他ならない。この落語という文化は、未だ死してはおらぬように見える。では何が失われたか。わたしたちは落語の世界の住人たちに問われているのである。何をか。自らを。

 

文  岡田光輝

 

“あこ”がテレビ高知「テレっちのたまご」で取り上げられました!

1月24日放送のテレビ高知「テレっちのたまご」にて、

“あこ”の特集を放送していただきました!

 

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日々がんばっている学生たちの様子や、代表瀬戸の“あこ”に対する想いなど、

短い時間の中で、“あこ”の魅力がぎゅっと詰まった放送になっています!

ぜひ下記URLよりご覧くださいませ。

https://www.kutv.co.jp/?target=program_page&program_id=prog55daccb4313c3&news_id=news5a68184e8a3c8