【座談会】“がちかん”開催しました!

「この人間のタイプは昔から何一つ創り出したことはない。美しい詩も深い思想も、有用の道具もそういうものを創り出すに必要な長い観察も、工夫も、労働も、彼は知らない。不思議な人間のタイプです。常に管理したり、 支配したりしているんです。デモクラシイ政治になっても、その点、同じことです。」

小林秀雄『政治家』

 

3/20(火)は、【座談会】“がちかん〜「ガチ」で「環」境問題を話して学んで遊ぶディベートゲーム〜”を開催しました。

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今回の講師は、ゲーム“がちかん”を開発された瀬戸繭美先生。

現在、奈良女子大学の助教をお勤めになられ、生物と環境相互の関係と、そこで生じる物質フローの変化などについて研究をされています。

 

といっても、なにがなにやらわからぬのが研究の世界。

“環境”という、本来わたしたちの生活に直結している筈のものが、遠く離れた世界の産物となっていては、いかにも不都合な事になりましょう。そんな思いからこの“がちかん”もまた生まれたのです。

 

さて、まずは実際にあそんでみようという事で、ルール説明も交えながら参加者みんなでプレイしてみます。

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テーブルを囲む4人全員が「為政者」の立場になってプレイするのが、このゲームの特徴。開発と、環境保全という二択を自分のターンごとに進め、最終的なポイントの差で勝敗を決します。

開発は得られるポイントも大きいが、当然その他の問題を誘発するリスク(ひとたび問題が起きると、その問題に準じたポイントを失う。)をも高めてしまう。それは必ずしも環境問題それ自体と相関のあるものばかりではなく、支持率の低下や、地震、津波といった“想定外”のリスクも含まれます。

そうして起こった問題に対して、“他国”と話し合いながら、そのダメージを判定していくわけですが、そこでの弁明や、追求が必ずしも整合性のとれたものである必要はありません。如何に他を納得させる答弁ができるか、このゲームではそんな資質も実は問われているのです。

 

 

既記の通り、「環境」をとりまく問題の多くは、それを論ずるにはあまりに専門性が高く、わたしたちが容易に考えられるものばかりではありません。と同時に、そうであるがゆえに、時にバイアスの過分にかかった言論が生まれ、それに誘発される形で生じた不毛な論争が、これまで如何に多くあったかについては、最早言うまでもないでしょう。

 

それを追求する者も、弁明を行う者も、最早その専門性という意味において埒外(らちがい)に置かれたなかにあっては、いずれ生まれるものとは、不毛な論争以上のものにはなりますまい。

環境問題それ自体についての理解を深める事の緊要(きんよう)である事もさることながら、「環境問題」というものが、如何にして生まれ、如何にして語られているかを知ること、このゲームが問うている事の意味には大きなものがあるのです。

 

アリストテレスいわく、政治(学)とは、市民が最高善を目指すための実践である。

だが、近代以降、その合理的、科学的精神により実践された政治は、必ずしもそのようなものとはならなかった。

小林秀雄は、『政治家』のなかで、パフォーマンスに執心するさる大臣を評して、こう述べる。「(政治は)ひとつの能率的な技術となった方がいい」と。

 

その真意にはこういう逆説めいたところがあるだろう。近代の為政者(無論「政治家」のみならず我々も含め)は、政治という怪物、歴史というものの持つその宿命的な一箇の運動に対して、あまりに“敬虔さ”が足りぬと。

 

専門性がなかったとして、我々には実際生活の中で得た経験という常識がある。無論、経験を盲信すれば、また偏見に陥ることもあるだろう。だが、その経験に忍耐を持って処し、注意深く観察するところには、十分にそういう陥穽(かんせい)を避けるだけの能力を我々は有している筈である。

 

無論、考える事それ自体を放擲(ほうてき)してしまうわけにはいかない。

必要なのは、その考えるという行為が、我々にとって如何に困難であるかを知る事だ。

 

雄弁に語る(Rhētorikē)ところになぞ、多くのものは生まれまい。

対話する(dialektikē)ことだ、親愛なる友と、あるいは自分自身と。

 

 

(文 岡田光輝)