「街づくりはどこへゆく? -108の絶望と1の希望」開催

「吾々にとって幸福な事か不幸なことか知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思想の唯一の武器は、依然として昔乍ら(ながら)の魔術を止めない。劣悪を指嗾(しそう)しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心幻惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。」

小林秀雄『様々なる意匠』

 

2月23日は、「街づくりはどこへゆく? -108の絶望と1の希望」と題し、

葉っぱビジネス等で知られる徳島県は上勝町の活性化などに取り組まれている大西正泰さんによる講演を開催しました。

 

今回は、東京にいらした大西さんからの遠隔受信。

島根県海士町、沖縄の久米島、そして土佐町“あこ”と、全三拠点を結び、皆で地方をとりまくさまざまな「問題」について考えました。

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冒頭、大西さんからこういう指摘がなされます。

「“街づくりとは何か”という定義の明確になされぬままに、各地で漠然とそうした取組が行われているのではあるまいか」と。

上勝の葉っぱビジネス然り、或いはトヨタのような大企業を中心とした“街づくり”等々、

地方創生が金科玉条の如く取り上げられる今にあって、そうした状況下を取り巻くあらゆる言葉の不鮮明であるがゆえ、またそこに攪乱(こうらん)が生まれるのではないかと大西さんは説きます。

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そこで例に取り上げられたのが“ハイジ”の世界

峻嶺なアルプスに囲まれた僅少な集落に生きる“ハイジ”の姿を見ても、

我々は誰ひとり“過疎”や、“地方消滅”なぞという言葉は空想しますまい。

 

我が国が戦後目指した「健康で文化的な最低限度の生活」という、それ自体が窮余の一策でしかなかった政治的レトリックが、我々の眼前にあらゆる問題めいたものを提出し、その影に隠れた、我々にとってより本質的な問いを封殺する事になっているのではあるまいか。

 

政治(政策)とは、殊現代においては、我々の近代合理精神の賜物に他なりません。

政治というものの手付きは、全てを物質的なものとして扱おうとするでしょう。しかし、無論扱うものが「物質」でなく、「物質的なもの」である以上、其処にはある種の観念の登場を待たねばなりませぬ。そこで「外部の生活標準」なぞという窮余の一策を発明してはみるが、そういう複雑極まるものをいつまでも相手にしきれる筈もありますまい。それはいずれ、“最小不幸”なる、我々の実感を無視した曖昧な言葉で語られるだけでありましょう。

 

政治は依然物質的なものの調整という機能にとどまることでしょう。我々が本当に危惧すべきは、過疎や、人口減少という曖昧極まる言葉の方ではない。我々の実際上の生活が示唆する感慨であり、経験の方であります。

例えば柳田國男は、その時代にあって深刻であった離村の問題について、こういう言葉を使って語っています。事の本質は“雅俗都鄙”(という価値観)にあると。

雅俗都鄙(がぞくとひ)とは、華やかな都をそれ以外との対比において賛美するという事。

しかし、柳田はそれ自体を批難しているわけではないのです。

「日本人は常に学問文章その他いっさいの技芸のことごとくを中央に集合しようとする傾向がある。極端な文化中心主義の国と言えるのである。それは都会人ばかりでなく、地方人が全く盲目的に町場を尊敬しすぎたからである 。」

ただ注意せねばならぬのは、柳田はこれを「我々にとって一種の性癖のようなものである」と説くばかりだという事です。

これは実際上の、或いは私自身の感慨であると。

 

ゆえに、ここで我々が考えねばならぬのは、政治の方を云々することでは勿論ありますまい。我々が我々自身の言葉で、我々の今現在を語るという事、そして、その感慨を、経験を、各々の最大幸福を実現するためにデザインする事でしょう。

 

 

大西さんは終始、現在の“地方”というものを取り巻くあらゆる価値観について問いを投げかけられました。

「現代資本主義の疲弊に鑑みれば、共有や贈与を前提とする“いなか”の暮らしこそ最先端と呼ばるべきではあるまいか。」と。

 

 

「春風やはたけみたがる京の人」

移住なぞという言葉は必要ないのでしょう。

“帰去来の感“は未だ死してはおりませぬ。

 

 

人間の生活というものが、己の天禀(てんりん)に生きるという事を言うならば、その生活を防禦(ぼうぎょ)するものは、鄙(=いなか)の力であり、都の魔術ではない。

 

「これ、サンチョ、よく承れ、成る程、お前の言う事は尤もだ。だが、魔術の種類は沢山ある。時代の移るにつれて、魔術も段々変って行く。昔はそうではなかろうが、今時の魔術にかかる人は、拙者のする様な事を、残らずするかもしれぬという事も、ありそうな事だ。理窟や当推量は止めて置け。拙者は魔法にかかっている。そうと知り、そうと感じていればこそ、拙者の本心は安まっているのだ。」

(ドン・キホーテ)

魔術を魔術と知って踊るのならば、その胸中は偉大なラ・マンチャの騎士のそれにも似ていよう。だが、そうと知らずにいたならば、それは傀儡(かいらい)の演ずる喜劇に過ぎまい。

 

自らの手足で踊ることだ。いずれ我々は風車に飛び込む事になるやも知れぬ。それでも我々は胸を張ってこう言う事はできるだろう。

「噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!」と。

 

(文 岡田光輝)