廣瀬教授座談会によせて『“問い”について』

「私がここで、特に言いたい事は、科學とは極めて嚴格に構成された學問であり、假説と檢證との間を非常な忍耐力をもつて、往つたり来たりする勤労であつて、今日の文化人が何かにつけて口にしたがる科學的物の見方とか考え方とかいうものとは關係がないという事です。そんなものは單なる言葉に過ぎませぬ。實際には、様々な種類の科學があり、見る對象に従い、見る人の氣質に従い、異なった様々な見方があるだけです。對象も持たず氣質も持たぬ精神は、科學的見方という様な漠然たる觀念を振り廻すよりほかに能がない。心理的現實だとか、歴史的現實だとか、何んだとか彼んだとかいう現実の合理的模像が、彼を閉じ込めている。出口が見付からぬのも一向に氣にかからぬのは、模像があんまりよく出来ているからだ。」

小林秀雄『私の人生觀』

 

2月22日、金沢大学の廣瀬幸雄先生をお招きし、座談会を開催しました。

廣瀬先生は、『ハトに嫌われた銅像』の研究で「人々を笑わせ、考えさせてくれる研究」に与えられるイグノーベル賞を受賞された方です。

また、科学者であることはさることながら、日本コーヒー文化学会副会長、発明家と様々な顔をお持ちで、「なんでだろう博士」とも呼ばれています。

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今回のテーマは、「学び」と「ムダ」

“なんでだろう”という問いをとことんまでつきつめ、自らのキャリアを形作ってこられた廣瀬先生。そんな廣瀬先生の原点には、こんな少年時代の記憶があります。

 

「蛇」「蛙」「蛞蝓(ナメクジ)」

この三すくみの関係(それぞれがそれぞれに対して強弱の関係を持つ故に三者とも身動きが取れなくなる事)について、父から教わった少年時代の廣瀬先生。その時お父さんは、実際にこんな実験を見せてくれたそうです。

「(父は)ナメクジが通った跡をヘビに通らせました。するとヘビは近くの木にぶら下がり動かない。次の日に見てみるとヘビはカラだけになって死んでいた」

 

それから2,3年経って、廣瀬先生は酸とアルカリの関係について学校で習います。

そう、ナメクジは強アルカリ性、ヘビは強酸性。ヘビは火傷をおこして死んだのでした。

「なぜか」と問う事、そしてそれが“わかる”という事。

こういう経験こそが廣瀬少年の心にまさに“火をつけた”のでありました。

 

 

廣瀬先生は、ご自身の性格を“しつこい”と評されます。

またこうもおっしゃいました。“ムダ”なぞということはないと。

 

 

誰しも心に火のつくような経験や瞬間はある筈です。

 

「これが何に結びつくのだろうか。」

「こんな事をしたところで無駄ではあるまいか。」

 

そういう類の問いは、我々が自らの生活に対して合理的に処していく上では肝要でありましょう。

だが合理的に処するという事と、人間が生きるという事とは、

それがのっぴきならない関係にあるとは言え、

決して折り合うような代物ではありますまい。

 

本来我々が今生きている世界には、「なんでだろう」と我々がひとりごちざるを得ぬ問いにあふれている筈です。そういう意味で、現代人ほどの軽信家は無いのです。前代の盲信家なぞ笑えぬほどに。

 

小林はこう述べています。

「対象も持たず気質も持たぬ精神は、科学的見方という様な漠然たる観念を振り廻すよりほかに能がない。心理的現実だとか、歴史的現実だとか、何んだとか彼んだとかいう現実の合理的模像が、彼を閉じ込めている。出口が見付からぬのも一向に気にかからぬのは、模像があんまりよく出来ているからだ。(中略)理性の映し出したものを誰も疑いはしない。それは真理である。併し、人生が人生である所以のものは、真理も亦虚偽と同じく厄介千万なものであるというところにあります。既知の真理が未来の事物を追い払ってしまった世界で、知識人達は、ただ推論だけしか出来ないという状態にある…….」

我々は、我々自身の経験に問わねばならぬのです。現実の生活というものを生きるにあたっては、既知の真理なぞ何物にもなりますまい。

 

 

「まーた私は、余計な事ばっかりしゃべっとる」

 

廣瀬先生は、座談会の最後に“知識”と“知恵”についてお話になられました。

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“知識”とは、ただ“書物に傍点を付す”ということに過ぎまい。

だが他方、“知恵”とは、それに“経験を混じえて物語る”という事である。

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「かかる話を聞きかかる処を見てきてのちこれを人に語りたがらざる者果たしてありや。」

柳田國男『遠野物語』より

 

成る程、廣瀬先生の人生観は正しくそういうところにあるのでしょう。

「なぜ」と問う事。

そして、その感動を如何に物語るかという事。

それが廣瀬先生にとっては、研究であり、発明なのでありましょう。

 

さて、我々もまた問い続けなければなるまい、そして物語らねばなるまい。

決して折り合わぬ戦いを演じ、生きてゆくために。

 

(文 岡田光輝)